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Dog photography and Essay

Dog photography and Essay

「蜻蛉(かげろう)日記」を研鑽-10(完)



「とても腹立たしい事を申し上げに」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



道綱が、右馬寮の使者として、賀茂祭に奉仕しなければならないので
そのことばかり思っていたから、長官はその準備の終わるのを待っていた。
祭に先立つ斎院御禊の日に、道綱は犬の死んでいるのを見て穢に触れたと
残念ながら使者の役は取り止めになってしまった。



私の方ではひどく気の早い感じがするので、本気で考えてもいないのに
長官が道綱を通して、殿よりのお言葉がありましたと責め立てられ
母上に申し上げてくださいとばかり言うので、わずらわしく感じた。



あの人に、今までの色々な事柄を文に認めて、使いの者に届けさせた。
あの人から、結婚は四月とは思ったが、道綱の支度をしている最中で
ずいぶん延び延びになってしまったから、もし長官の心が変わらなければ
八月頃にしたらと言ってきたので、後になりほっとした気持ちになる。



殿は初めから娘を長官の嫁にと考えていたのだろうかと思う。
暦で決めるのは、あてにならないし、早過ぎると、だからこそ長官へ
申し上げたではありませんかと書いて送ると、返事もなくて、暫くして
本人がやって来て、とても腹立たしい事を申し上げに来ましたと言う。


「姫君に会わせていただきたいのです」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



長官が、腹立たしい事を申し上げに来ましたとは、一体何ごとでしょう。
ひどく興奮していらっしゃるのね。では、こちらへと招く言葉を掛けると
まあ、いいでしょう。こんなに夜も昼も伺っては、うるさく思われて
ますます先のことになるでしょうと言って、中には入らないでいる。



しばらく道綱と話をして、帰る時に、硯と紙を要求したので、出してやると
書いて、両端をひねって、こちらにさし入れて帰って行った。文を見ると

ちぎりおきし 卯月はいかに ほととぎす わがみのうきに かけはなれつつ

お約束の四月はどうなったのでしょう ほととぎすが卯の花の木陰を離れる
季節で 私も姫君との結婚が遠のくとは なんと辛い身なのでしょう。



どうしたらいいのでしょう。ひどく気がふさいで。夕方にまたと書いてある。
筆跡もこちらが恥ずかしくなるほど達筆である。返事はすぐに書く。

なほしのべ 花たちばなの 枝やなき あふひすぎぬる 四月なれども

やはり辛抱してください 卯の花はなくても 花橘の枝があるように
逢うという葵祭のある四月が過ぎても また逢う機会があるのですから。



右馬寮の長官は、かねて暦を見て選んでおいた二十二日の夜、訪れて来た。

今回は、今までの態度とは違って、とても慎重にしてはいるものの、
その責め方は、まったく耐え難く、殿のお許しは、だめになりましたと言い
八月までは遠い気がしますので、あなたのご配慮で、なんとか
姫君に会わせていただきたいのですと言うので困ってしまった。


「暦も残り少ないほど日が経ちました」

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愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



姫君に会わせていただきたいとは、どのようなお考えで、そのように
おっしゃるのでしょう。あまりにも遠いお方とおっしゃる間に
初めて言葉を交わすことになるかもしれませんと言うと
いくら幼い子どもでも話ぐらいはしますよと言う。



この子は、本当にそうではありません。あいにく人見知りする年頃ですから
と言っても、納得がいかないようで、とても気落ちしているように見える。
姫君に会えないのは、胸が張り裂けるほどに思われますが、せめてこの
御簾(ぎょれん)の中だけでも入れていただけたら退出しましょう。



姫君に会わせていただけるか、御簾の中に入れていただけるか、そのどちらか
一つでも、叶えていただきたいのです。ご配慮をと言って、簾に手を掛ける。
とても薄気味悪いけれども、聞かなかったふりをして、夜も更けたようですが
いつもならどこかの女君に逢いたくなるような夜ですねと、そっけなく言う。



まったくこれほど薄情だとは思いませんでしたが、思いがけなくこうして
お話ができただけでも、この上もなく嬉しいことだと思います。
暦も残り少ないほど日が経ちました。失礼なことを申し上げ、ご機嫌を
損ねましてなどと、心から辛く思っているので、親しみをおぼえて話した。


「お帰りの道はどんなに暗かったことでしょう」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



夜に娘に会わせよとおっしゃいましても、やはり無理なご要望です。
院や宮中に仕えていらっしゃる昼間のような気持ちになって下さいと言うと
そのように表向きの付き合いしかしていただけないのは、耐えられませんと。



辛がって答えるので、まったくどうしようもない。わたしが返事に困って
最後にはなにも言わないでいると、ご機嫌もすぐれないようで恐縮ですと。
あなたからお言葉がない限り、なにも申し上げない事にします。
そして、ひどく恐縮していますと言って、爪弾きをして、立ち上がった。



出て行く時に、松明をどうぞなどと召使いに言わせたが、受け取らないで
お帰りになられたと聞くと、気の毒になって、翌朝早く、あいにくなことに
松明をとも言わずお帰りになり、ご無事でしたかと申し上げたくて。



ほととぎす またとふべくも 語らはで かへる山路の こぐらかりけむ

また訪ねるともおっしゃらないでお帰りになりましたが、お帰りの道は 
どんなに暗かったことでしょう、それがお気の毒でと書いて届けた。


「同じ牛車に乗って出かけていった」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



松明をも灯さずに、お帰りの道は、どんなに暗かったことでしょう。
使いはその手紙を置いて帰って来たので、あちらから、

とふこえは いつとなけれど ほととぎす あけてくやしき ものをこそ思へ

いつということなく いつでもお伺いしたいのですが 道が暗かったことより
一夜明けて昨夜の失礼を後悔していますと、とても恐縮して
お手紙を受け取りましたとだけ書いてある。



そのように恨み言を言っても、次の日、道綱の君、今日はあちこちへ
訪問するつもりですが、役所まではご一緒にと門の所まで来た。
先日のように長官は硯を要求するので、紙を添えてさし出した。
こちらに入れたのを見ると、妙にふるえた筆跡で書かれてあった。



前世でどんな罪を犯したせいで、こんなにあなたから妨げられる身に
なったのでしょうか。ますます変なふうになっていくばかりですが、
これでは結婚も、とても難しい。もうこれ以上は何も申し上げません。
今は高い峰にでも登るしかありませんなどと、たくさん書いてある。



返事は、恐ろしい。どうしてそんなことをおっしゃるのでしょう。
お恨みになる人は、わたしではなく別の人ではないですか。
峰のことはわかりませんが、谷に下りるご案内ならと書いて
差し出すと道綱は長官と同じ牛車に乗って出かけていった。


「寝殿造りの釣殿の高欄に寄りかり」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



道綱と長官は同じ牛車に乗り出かけたが、道綱は美しい賜り物の馬を
もらって帰って来たが、その日の夕暮れに、また長官がやって来た。
先日の夜に恐縮するほど申し上げた事を思い出すと、一層恐縮するので
今は、ただ、殿からお言葉あるまで、待っていますと言いに来ていた。



長官は今夜は生まれ変わってお伺いしましたと言い、千年の寿命があっても
この恋の苦しみには耐えられない気がし、指折り数えて、指三本、三ヶ月は
なんとか過ごせましたが、考えてみると、随分先が長いので、することもなく
寂しく過ごす月日の間、護衛のための宿直だけでも、屋敷の隅でと言う。



こちらの考えていることと反対のことをはっきり言うので、仕方なく調子を
合わせて返事などしていると、長官は、今夜はとても早く帰って行った。
長官は道綱を毎日のように、呼び寄せるので、道綱はいつも出かけて行く。
女性たちに喜ばれる描き方の絵が長官の家にあり道綱が持って帰って来た。



道綱は懐に入れて持って来たので見ると、寝殿造りの釣殿の高欄に寄りかり
池の中島の松をじっと見つめている女が描いてあり、歌を書き貼り付けた。

いかにせむ 池の水なみ 騒ぎては 心のうちの まつにかからば

どうしよう 池の水波が騒いで中島の松にかかるようなことになったらと。
どうしよう あの人がほかの女に心を移し 私を裏切る事になったらとも。


「たくさん恋文を書いているようだ」

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独り暮らしの男が、手紙を書きかけ始めて途中でやめて、頬杖をついて
物思いにふけっている所に

ささがにの いづこともなく ふく風は かくてあまたに なりぞすらしも

蜘蛛の糸を 風があてもなく吹き散らすように この人はあちこちの女に
たくさん恋文を書いているようだと書き道綱が長官の家に持って行った。



こうして、長官からはやはり同じ事ばかりで、殿に結婚を催促して下さいと
いつも言ってくるので、あの人の返事を見せようと思って、こんなことばかり
言ってくるので、こちらでは返事に困っていますと話しておいた。



時期は言ってあるのに、どうしてそのようにあせるのだろう。
八月になるのを待つ間に、そちらでは華やかにもてなしていらっしゃるとか
世間で噂しているようだ。長官の事より貴女の事で、ため息が出るよと返事。
冗談だろうと思っているうちに、何度もそう言ってくるので、不思議に思う。



私が結婚を催促しているのではありません。ひどくうるさく言ってくるので
すべて、私に頼む事ではありませんと言っていますのに、相変わらず
同じことを言ってくるようなので、目に余って相談しているのです。


「立てもふすも飼葉桶を置くという縁語」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



ところで、私が華やかにもてなしているとは、どういう事なのでしょう。

いまさらに いかなる駒か なつくべき すさめぬ草と のがれにし身を

今さらだれが寄りつくでしょう 馬でさえ喜んで食べない枯れ草のように
世を逃れてしまった年寄りの私なんかに、あぁ、憎らしいと書いて送った。



長官は、やはりこの四月のうちに望みをかけて、責める。
この頃、例年と違って、ほととぎすが邸宅を突き通すように鋭く鳴くので
不吉な前兆だと、世間では騒いでいる。長官への手紙の端に例年とは違った
ほととぎすの鳴き声にも、世間では不安に思っているようですと書いた。



長官へ、酷く恐縮しているように書いたので、長官も艶っぽい事は書いて
来なかったが、道綱が、馬の飼葉桶(かいばおけ)を暫く貸して下さいと
言って借りようとしたところ、長官は、例の手紙の端に、道綱に事が
成就しなければ、飼葉桶も貸せないと申し上げて下さいと書いてある。



こちらからも、飼葉桶(かいばおけ)は、立てたる所があるようですから
お貸し頂くと、かえって面倒な事になるでしょうと書いて送ると、折り返し
立てたる所があるようにおっしゃっている飼葉桶は、今日明日にも、うちふす
べき所がほしそうです。私もそちらで臥すべき所がほしいですと書いてくる。

立ても、ふすも飼葉桶を置くという縁語になるが臥すと掛け遊んでいるよう。


「着物の下前に歌を書いて縫い付けた」

「Dog photography and Essay」では、
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四月が終わると、長官との結婚は遠い先の事になってしまったので
長官はすっかり気落ちしたのか、連絡もなくなり五月になった。
四日に、雨がひどく激しく降っている頃に、道綱へ晴れ間があったら
申し上げなければならない事がありますので立ち寄ってくださいと。



母上には、私の前世の宿縁が思い知らされて、何も申し上げませんと
お取り次ぎ下さいと言ってきたので、このように道綱を呼び寄せながら
長官は、特に話す事もなくて、とりとめもないことを言って帰す。



今日、こんな激しく降る雨にもかかわらず、私と同じ所に住んでいる人が
ある神社にお参りに出かけたが、差し支える事もないからと思って私も
出かけようとしたところ、侍女が、女神さまには、着物を縫って奉納するのが
よいそうなので、そうなさったらと、そばに寄って来てささやいてきた。



では、試してみようと言って、糸を固くしめて織った無地の絹の雛人形の着物を
三枚縫い、なぜか、それぞれの着物の下前に、歌を書いて縫い付けた。

しろたへの 衣は神に ゆづりてむ へだてぬ仲に かへしなすべく

この白い着物は神さまにお供えします 私たち夫婦の仲を 昔のように
隔てのない仲に戻して下さいますようにと言う歌を縫い付け、他の歌も。


「侍女も起きて格子を上げたりする」

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雛人形の着物を三枚縫い、その着物の下前に、歌を書いて縫い付けた。
殿の愛が薄れた嘆きを書き込んだが、神はお知りになったであろうか。

しろたへの 衣は神に ゆづりてむ へだてぬ仲に かへしなすべく

白妙の羽衣は神様にお返しいたします、そうですから兼家さまと
私の仲を昔のように中睦まじくしてくださいませ



唐衣 なれにしつまを うちかへし わがしたがひに なすよしもがな

着古した唐衣のようになってしまった我が夫を 衣の褄を返すように
我が夫を私の言うままになるような方法がないものでしょうか



夏衣 たつやとぞみる ちはやぶる 神をひとへに 頼む身なれば

女神様のために夏衣を裁って参りました、その神様の単衣にすがって
ひとえに頼む我が身でありますから

日が暮れたので急ぎ帰る事にした。



夜が明けて、五月五日の夜明け前に、兄の長能(ながよし)がやって来て
今日の菖蒲は、どうしてまだ葺(ふ)いてさし上げないのですかとか
夜のうちにしておくのがいいのになどと言うので、召使が目を覚まし
菖蒲を葺いているようなので、侍女も起きて、格子を上げたりする。


「騎射の見物へ一緒にと言ってくる」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



端午の節句に、軒に菖蒲を葺くのは、邪気を払い火災を防ぐ習わし。
しばらく格子は上げないで、ゆっくり工夫して菖蒲を葺こうと言う。

その方がご覧になるにも良いと言うが、みな起きてしまったので、
あれこれ指図して菖蒲を葺かせるが、風が吹いているので
あやめの香りが、すぐに漂ってきて、とても趣がある。



簀子(すのこ)に道綱と二人で座って、ありとあらゆる木や草を集めて
珍しい薬玉を作りましょうなどと言って、せっせと手を動かしていると
この頃では珍しくもないけれど、ほととぎすが群れをなして
厠の屋根にとまっているなどと、人々が騒いでいる声がする。



ほととぎすが、空を飛びながら二声、三声鳴くのが聞こえ心安らぐ感じた。

あしひきの 山ほととぎす 今日とてや あやめの草の ねにたててなく

山ほととぎすは今日五月五日と決めて 菖蒲草の根にあやかって高く声たて
鳴いているのかなどと言わない人がいないほど、歌って遊んでいる。



少し日が高くなる頃、長官が、騎射の見物へ一緒にと言ってくる。
道綱が、お供しましょうと言ったところ、しきりに、早くなどと言って
使いが来るので、道綱は急ぎ出かけて行った。



「ひどい雨に妨げられて困っています」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



次の日も、長官は朝早く来て、昨日は、詩歌を口ずさんで
賑やかなようでしたので、何も申し上げられませんでしたと言う。
母上が冷たい態度でいらっしゃるのは、なんとも言いようがありません。
それでも、命があるなら、いつかは結婚できるでしょうと言う。



さらに、死んでしまったら、姫君をいくら親しく思っていても
なんにもなりません。まあ、これはわたし愚痴で内緒ですと言ってくる。
また二日ほどして、朝早く、すぐに申し上げたいことがあります。
そちらに伺ってもよろしいでしょうかなどと言ってきた。



道綱へ、ここへ来られてもどうしようもないから、早く行きなさいと言い
出かけさせるが、なにもありませんでしたと言って帰って来た。
それから二日ほどして、ぜひ申し上げたいことがあります。
お越しくださいとだけ書いて、朝早く届けてきた。



すぐにお伺いしますと伝えたが、しばらくして、雨がひどく降ってきた。
夜になっても止まないので、出かけられなく、申し訳なく思い
手紙だけでもと、ひどい雨に妨げられて困っていますと書いた。


「指を折らされることになるかも」

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たえずゆく わがなか川の 水まさり をちなる人ぞ 恋しかりける

絶えず行き来しているわたしたちの仲ですが この雨で中川の水かさが
増して渡れなく 遠く隔てられたあなたが恋しくてなりません。



あはぬせを 恋しと思はば 思ふどち へむなか川に われをすませよ

会うことができない人を 恋しいと思っているなら 
思っている同士で 一緒に暮らしましょう 中川で隔てられている
あなたの家に わたしを住まわせてくださいなどと返歌した。



日が暮れて、雨もやんだので、本人がやって来た。
例によって、待ち遠しく思っている結婚の話ばかりするので
そんなにご心配なさらなくても。三つとおっしゃっていた指の一つは
折るとすぐに過ぎてしまいそうですのにと話した。



そのお約束もどうなることでしょう。
あてにならない事などもありますから、気が滅入ったあげく
また延期になって、指を折らされることになるかもしれませんと言う。





「心にもない事とはどういう事でしょう」

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わたし自身の物思いは、今はすっかりなくなってしまった。
七月の二十日頃になって長官がとても馴れ馴れしくするので、私を
頼りにしているのだわと思っているうちに、侍女が言うには、長官さまは
人の妻を盗み出して、ある所に隠されていらっしゃいますと言う。



ひどくばかげたことだと、世間でもしきりに噂しているようですと。
それを聞くと私は、この上なくほっとする話を聞いた。
七月が過ぎたらどう言おうかしらと、思っていたからとは思うものの
結婚が迫っているのに、わけがわからないと、私は思った。



そんな時、また長官から手紙が来たので、開けて見ると、まるで私が
尋ねたかのように、心にもないことをお聞かせして、とんでもない事です。
八月には結婚できないでしょう。こういう事とは別の関係で道綱さんへ
申し上げる事がありましたので、幾ら何でもお見限りにはと書いてある。



返事は、心にもない事と、おっしゃっているのは、どういうことでしょう。
こういう事とは別の関係でとかおっしゃるのは、私たちの事を
お忘れにならなかったのだと思えて、とても安心しましたと書いて送った。


「世の中のなにもかもが心細い感じ」

「Dog photography and Essay」では、
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八月に入ったものの、世間では、天然痘が流行して大騒ぎである。
二十日の頃に、この付近にも広がってきた。道綱が例えようもなく酷く患う。
どうしたらいいのだろうと、音信不通になっているあの人に知らせようと
思うほど重体なので、わたしはいっそうどうしていいかわからない。



でも、そんなことは言っていられないと思い、あの人に手紙で知らせると
返事はひどくそっけないものだった。そして、口頭で、どんな様子だと
使いの者に言わせた。それほど親しくない人でさえ見舞いに来てくれて
いるようなのにと思う気持ちも加わって、腹立たしくてならなかった。



長官も決まりが悪そうにしながらも、たびたび見舞ってくださる。
九月の初め頃に道綱の病気は治った。八月二十日過ぎから降り始めた雨が
この月もやまないで、あたりが暗くなるほど降って、この中川も賀茂川も
一本になってしまいそうなので、この家も流されるのかしらとまで思う。



世の中のなにもかもが心細い感じである。門の前には早く稲刈りが
行われるはずの田圃もまだ刈り取りをしないで雨の晴れ間に、急いで
稲を刈って、それで焼米を作るのがやっとだった。天然痘は猛威をふるい
一条の太政大臣のご子息が二人共亡くなり本当にお気の毒でならない。


「道綱が病からはじめて外出した」

「Dog photography and Essay」では、
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天然痘が猛威をふるい色々な人が倒れたと言う話を聞くにつけても
治ったあの子は本当に幸運だった。このように道綱は病気は治ったが
別に用事もないので、まだ外出もしないで家にいる。



二十日過ぎに、とても珍しいあの人から道綱はどうだと手紙が来る。
こちらの人は皆治ったのに、道綱はどうして姿を見せないのだろうと
心配でならないとあるが、貴女がわたしをひどく憎んでいるようなので
遠ざけている訳ではないが、意地を張っているうちに時が過ぎてしまった。



忘れたことはないけれどと、心を込めて書いてあるので、不思議に思う。
返事は、尋ねて来たあの子の事ばかり書いて、端に、忘れる事はないと
書いてあったのは、本当にそうでしょうねと書いて送った。



道綱が病からはじめて外出した日に、道で、手紙を送っていた大和の女と
ばったり出会ったところ、どうしたのか、車の筒が引っかかり困っていた。

年月の めぐりくるまの わになりて 思へばかかる をりもありけり

年月が巡っている間に 昨夜 車の輪が引っかかったように
時にはこのようにお会いすることもあるのですねと文を送った。


「世を逃れてしまった年寄りの私」

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車の輪が引っかり立ち往生していたのが大和の女だと思い手紙を送った。
どうやら道綱の見間違いのようで、手紙の返事が送られて来たが
その手紙の端に、平凡な筆跡で、違います、私ではありませんと
素っ気ない返事が返って来て、道綱の肩を落とした後ろ姿を見た。



こうして十月になり、二十日過ぎの頃に、忌違えで移った家で聞いたのだが
あの私が嫌っているあの人が通う女の所では、子どもを産んだそうだと
人が言うが、憎らしいと思う反面、気にもかけないでいた。



宵の頃、灯りをともして、食事などをしている時に、兄弟にあたる人が
近くに寄って来て、懐から、陸奥紙に書いて結び文にした手紙で
枯れた薄に挿してあるのを取り出して、変な手紙ね、どなたのと言うと
まあご覧なさいと言ので、手紙を開いて、灯りに照らして見てみた。



憎らしいあの人の筆跡にとてもよく似ているが、書いてあることは

いまさらに いかなる駒か なつくべき すさめぬ草と のがれにし身を

今さらだれが寄りつくでしょう 馬でさえ喜んで食べない枯れ草のように
世を逃れてしまった年寄りの私なんかにと心細い事が書かれてある。


「考えても考えても不思議でならない」

「Dog photography and Essay」では、
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霜枯れの 草のゆかりぞ あはれなる こまがへりても なつけてしがな

霜枯れのように老いたわたしですが 妹〈弟の妻〉というご縁にある貴女が
すさめぬ草と嘆いていらっしゃるのがお気の毒でなりません 私が若返って
貴女と親しくなりたいものですと綴られている。



こまがへりとは、年老いた者が再び若い様子になる。若返る。おちかえる。
また、草木などが再び芽をだすの意にも用いられる。

何とも辛いとも綴られて、私があの人に言った虚しいと思っていた歌の七文字
「こまがへりても」なので、不思議でならず、これはどういう事と思う。



この手紙はあの人(兼家)の兄の藤原兼通さまではと尋ねると太政大臣さまの
お手紙で、護衛をしているある人が、お邸に持って来たので、ご不在ですと
言ったのですが、確かにお渡し下さいと置いていったと言う。



どうしてあの歌のことをお聞きになったのだろうと、考えても考えても
本当に不思議でならない。そうして、まわりの人たちにこの手紙のことを
相談していると、昔気質の父が聞きつけて、誠に恐れ多いことだと
すぐにお返事を書いて、護衛に渡さなければならないと恐縮して言う。


「宮中に行くわけにもいかないから」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



兼通さまを、こんなにいい加減に思っていたわけではないだろうが
ひどく投げやりに手紙を綴った。

ささわけば あれこそまさめ 草枯れの 駒なつくべき 森の下かは

笹を分けて来られても わたしはますます離れて行くでしょう
馬も寄りつかない森の下草のわたしですからと申し上げた。



侍女が言うには、この返歌をもう一度というので、大臣さまは半分まで
詠まれたそうですが、下の句がまだできないとおっしゃっているそうですと。
そう聞いてから随分経つのに、そのままになっており、おかしいと思った。



賀茂の臨時の祭が明後日というのに、道綱が急に舞人に召されてしまった。
このことで、あの人から珍しく、支度はどうするなどと手紙が来たので
明後日までに揃えられなく、必要なものを伝えるとすべて届けてくれた。



試楽の日、あの人からの手紙に、穢(けがれ)に触れて出仕しないで
謹慎中なので、宮中に行くわけにもいかないから、そちらへ伺って
世話をして送り出そうと思うが、あなたが寄せつけてくれないだろうから
どうしたらいいのだろう、とても心配だと書いてある。


「見たことがある人たちがいる」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



あの人の手紙には、道綱の事が気にかかるが、あなたが寄せつけて
くれないだろうから、どうしたらいいのか、とても心配だと書いてある。
今さら来てもらってもどうなるものでもないと色々な思いが込み上げて
来るので、道綱へすぐに身支度をしてあちらへ行くように言う。



急がせて行かせたが、自然と涙が溢れる。あの人は、道綱に付き添って
舞をひととおり練習させて、参内させた。祭の当日、一目だけでも
ぜひ見たいと思って出かけた所、道の北側に檳榔毛(びろうげ)の車が
後ろも前も簾を下ろして止まっていた。檳榔毛は牛車を覆った車。



前の方の簾の下から、きれいな掻練(かいねり)に紫の織物の重なった袖が
こぼれ出ているようで、女車だと思って見ていると、車の後ろの方の
家の門から、六位の太刀をつけた者が、威儀を正して出て来て
車の前の方にひざまづいて、何か言っているので、何だろうと見ていた。



目をとめて見ると、その男が出て来た車の傍には、緋色(ひいろ)の袍の五位や
黒の袍の四位以上の人たちが、集まって、数えきれないほど立っている。
さらによく見ると、見たことがある人たちがいる事に気づいた。
袍(ほう)とは、公家の装束の盤領 (まるえり) の上衣のこと。


「私の一言で打ち解けてほしいと」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



例年よりは、儀式が早くすんで、上達部(かんだちめ)の車や
連れ立って歩いてくる者は、檳榔毛(びろうげ)の車を取り巻く
人たちを見て、あの人の車だとわかったのだろう、そこに止まって、
同じ場所に車の前をそろえて止めた。



わたしの大切な子は、急に舞人に召されて出たわりには、供人なども
きらびやかに見えた。上達部が、それぞれ道綱に果物をさし出しては
なにか言葉をかけたりなさるので、誇らしい気がした。



また、古風な私の父も、例によって身分の違いから上達部の傍にいることは
許されないので、山吹をかざした陪従(楽人)たちの中に紛れていたのを
あの人が特に連れて来させて、車の後方の家から酒などを運び出してあり
父が盃をさされたりするのを見ると、一瞬満たされた気がしたことだろう。



道綱がいつまでも独身ではと世話をやく人がいて、道綱に親しい女ができた。
八橋のあたりに住んでいる女だろうか、はじめに

かつらぎや 神代のしるし ふかからば ただ一言に うちもとけなむ

葛城山の悪い事も善い事も一言で言い放つ託宣神とされる一言主神の霊験が
今もあらたかなものなら その名のとおり 私の一言で打ち解けてほしいと。

だが、この時に返事は、なかったようだ。


「踏み始めた足跡をたどるように」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



かへるさの くもではいづこ 八橋の ふみみてけむと 頼むかひなく

お返事は八橋の帰りに蜘蛛手の道で迷っているのでしょうか
手紙をごらんになっただろうと期待した甲斐もなく。今度は返事が来た。



かよふべき 道にもあらぬ 八橋を ふみみてきとも なに頼むらむ

通うことなどできない道なのに わたしが手紙を見たからといって
なにを期待していらっしゃるのでしょうと、侍女に書かせてあった。



なにかその 通はむ道の かたからむ ふみはじめたる あとを頼めば

どうして通えないことがあるでしょうか 踏み始めた足跡をたどるように
手紙を通い始めた二人ですから そのうち通えるようになります。



そしてまた、道綱へ返事が返って来た。

たづぬとも かひやなからむ 大空の 雲路は通ふ あとはかもあらじ

お訪ねくださっても甲斐がないでしょう 私の所へは 蜘蛛手ではなく
大空の雲路ですから 足跡など残ってないでしょう。道綱が文を送る。


「長い間独り寝をしてきたけれど」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



女が負けたくないと思っているようなので、道綱が手紙を綴る。

おおぞらも 雲のかけはし なくはこそ 通ふはかなき なげきをもせめ

大空に雲の架け橋がないのなら 通うことができないで嘆くでしょうが 
大空には雲の架け橋があるのですからと書いて送り返事が届く。



ふみみれど 雲のかけはし あやふしと 思ひしらずも 頼むなるかな

踏んで通おうとなさっても雲の架け橋は危ないもの お手紙を拝見しましたが
通う事ができないのを分からないで 期待していらっしゃるようね。



女性よりの文に、また、道綱が文を綴り送る。

なほをらむ こころたのもし あしたづの 雲路おりくる つばさやはなき

やはりわたしは、このまま待ち続けます 雲路から舞い降りる翼が
ないわけではありませんからと女性へ送った。



今度は、暗くなったからということで、それきりになり十二月になった。
また道綱の方から女性に文を綴り送った。

かたしきし 年はふれども さごろもの 涙にしむる 時はなかりき

衣の片袖を敷いて長い間独り寝をしてきたけれども 今までこれほど夜着が
涙で濡れたことはありませんと送るが、外出中で返事はなかった。


「春が来た事を知らせたが返事はなかった」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



道綱は、女性からの返事がないので、次の日あたりに、使いを行かせた。
女性から柧棱(そば)の木につけて、見たとだけ書いてよこした。
ソバノキの実の小さいことから、実の無けくにかけた枕詞。



道綱はすぐに返事を送った。

わがなかは そばみぬるかと 思ふまで みきとばかりも けしきばむかな

わたしたちの仲は疎遠になったかと思うほど 見たとだけ書いて
冷たくなさるのですねと虚しい胸の内を女性に告げる。



やっと女性から返事が来る。

天雲の 山のはるけき 松なれば そばめる色は ときはなりけり

わたしは雲のかかる遥か彼方の高い山の松ですから 冷たいのは
常磐の松のようにいつものことですと送られて来た。



年内に節分をするので、方違えはこちらへと道綱は、使いに言わせて

いとせめて 思ふ心を 年のうちに はるくることも 知らせてしがな

あなたを思っている気持ちを年内にわかっていただき わたしにも
春が来たことをお知らせしたいのですと送るが返事はなかった。


「年まで越して待っている人もいる」

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(ももは6月15日で満3歳を迎えた)

道綱は、わずか一夜ですから、こちらでお過ごしくださいと書いたようだ。

かひなくて 年暮れはつる ものならば 春にもあはぬ 身ともこそなれ

待つ甲斐もなく 今年も暮れてしまうなら 春にもあわないで 
死んでしまうでしょうなどと懇願にも似た文を綴り送る。



(チョコ板のもも3才の文字が少し隠れた)

だが、今度も返事がないので、どうしたのだろうと思っているうちに
あの女性には、色々言い寄る男が大勢いるそうな噂を聞き文を出す。

われならぬ 人待つならば まつといはで いたくな越しそ 沖つ白波

わたし以外の人を待っているなら 先日の歌のように、待つなどと
思わせぶりなことを言って 私を裏切らないでくださいと送る。



(テーブルクロスを引っ張るのでケーキが落ちそうに)

女性から返事が来た。

越しもせず 越さずもあらず 波寄せの 浜はかけつつ 年をこそふれ

裏切るも裏切らないもありません わたしは今までずっと どなたにも
同じように心を寄せて過ごしてきたのですと書いてあった。



(13キロになったももを抱えていただき撮影した)

年がおしつまったころ、道綱は八橋へ手紙を出す。

さもこそは 波の心は つらからめ 年さへ越ゆる まつもありけり

あなたの心がそんなに冷たいとは 波だけでなく 年まで越して
待っている人もいるのですよと女性へ不満の文を送る。


「深い嘆きで心が落ち着かず休まらない」

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八橋よりの返事が届いた。

千年ふる 松もこそあれ ほどもなく 越えてはかへる ほどや遠かる

千年も経った松だってあります まもなく年が越えて春なったら私も
帰りますが それがそんなに遠いことでしょうかと書いてある。



どういうこと、変な事を言うと思う。風が吹き荒れている時に道綱が

ふくかぜに つけてもものを 思ふかな 大海の波の しづこころなく

風が吹くにつけても物思いは絶えません。大海の波が立ち騒ぐように
心が落ち着かず心が騒いでと書いて八橋へ送った。



返文には、返事を申し上げる筈の人は、今日の事に掛かりっきりでと
今までとは違う筆跡で、葉が一枚だけついた枝につけてあった。
折り返し、あまりにも辛くて、みじめな思いでと思い文を送る。



わがおもふ 人は誰そとは みなせども なげきの枝に やすまらぬかな

私の思う人は他ならない貴女ですが 今にも散りそうな一枚の木の葉のように
わたしも深い嘆きで心が落ち着かず休まらないのですと送った。


「母の思い出にひたっているうちに」

「Dog photography and Essay」では、
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今年は天候がひどく荒れる事もなく、雪が二度ほど降っただけである。
道綱の元日の装束や、馬寮の白馬を天覧の後、群臣に宴を賜わる儀式の
節会に着ていく物など整えているうちに、大晦日になってしまった。



明日の元日の引出物にする布地を、折ったり巻いたりするのを
侍女たちに任せたりして、考えてみると、このように生き長らえて
今日まで過ごしてきたのもあきれるばかりである。



御霊祭などを見るにつけても、例年のように尽きる事のない
母の思い出にひたっているうちに、今年も終わってしまった。



ここは京のはずれなので、夜がすっかり更けてから追儺の人たちが
門を叩きながら回って来る音が聞こえる。
追儺(ついな)とは、大晦日の日に悪鬼を追い払う行事のこと。


「兼家の和歌を多数収めているので」

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蜻蛉(かげろう)日記は、夫である藤原兼家との結婚生活や兼家の
もうひとりの妻である時姫(藤原道長の母)との競争や夫兼家に次々と
できる妻妾について書き、また滋賀大津の唐崎祓への神社詣の事柄や
滋賀大津の石山詣の事柄、奈良の長谷詣などの旅先での出来事を綴り



上流貴族との交際の事柄や、母の死による孤独、息子藤原道綱の成長や結婚
兼家の旧妻である源兼忠女の娘を引き取った養女の結婚話とその破談について
藤原道綱母の没年より約20年前、39歳の大晦日を最後に筆が途絶えている。



歌人との交流についても書いており、蜻蛉日記の和歌は261首書かれており、
「なげきつつひとりぬる夜のあくるまはいかに久しきものとかは知る」は
百人一首にとられており、女流日記の先駆けとされ、源氏物語はじめ多くの
文学に影響を与えられ、自らの心の内や経験を客観的に顧みる文学でもある。



兼家に対する恨み言を綴ったものや、復讐のための日記とする人もあるが
兼家の和歌を多数収めているので、実の所、兼家の協力を得て書いた
貴族への宣伝の書ではないかと理解する文学研究学者もいる。


「次の世代の人々にタスキを渡す」

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蜻蛉日記を書き綴った21年間の最後の日記には道綱の新年を迎える準備に
道綱母である作者は多忙を極めていたが静かな夜を迎えると作者の
脳裏には過ぎ去った二十一年のことが、鮮明に思い浮かんでは
走馬灯のように流れ去っていった。



摂政・関白に任ぜられる家柄の摂関家の若い貴公子兼家の求婚にはじまり
結婚そして、道綱出産、夫の漁食(次々に女を追い求める)癖に悩んだ
青春の日々の事や嘆き、ライバル時姫の子女五人の出産に嫉妬
宿願の本邸入りの夢が破れたあとの不安の中年の日々の描写。



結婚十七年目元日に兼家邸前素通りや、鳴滝の山寺長期参籠、広幡中川への
移居等々思い出しては色々な香りを醸し出し足早に消え去っていった。
兼家との関係も書き綴る事もなくなり、次の世代の人々にタスキを渡す今
道綱や養女のように新しく迎える年に対する胸のふくらむ思いもなくなった。



胸のときめきもなくなったことをしみじみ感慨深く思ったのであろう。
外では追儺(ついな)の戸を叩く音が耳にひびき、静かな京のはずれの
道綱母の住居の大晦日の夜は次第に更けて行き蜻蛉日記は二度と綴られず
道綱母は59歳の長寿を全うし、道綱も大臣を歴任し66歳と長寿の生涯だった。

次回より40年の半生を綴った更級(さらしな)日記を研鑽したい。


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